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− 法多山伝承奇譚 −
法多山に伝わるオーパーツ
謎の境内図
~100年のシンクロニシティの謎~
著 松山拓也


現在、多くの参拝者で賑わう法多山尊永寺、年間40万人訪れる多くの方が目にする境内のマップがある。これは「境内図」と呼ばれ、パンフレットやWEBにも掲載され、初めて訪れる方が参拝のため、また目当ての場所の位置関係を調べるために利用されている。
この境内図は、2014年から2015年にかけて製作された。 2015年に初めて法多山の山門の大型看板に掲示され、その後、パンフレットや案内に使用されている。制作監修をしたのは筆者であるが、制作の際には、ドローンとグーグルマップを使用し、紙面の中に納める為に、大幅にデフォルメして制作したものである。
何を大幅にデフォルメしたか? それは縦横比である。
下の図を見て欲しい。これはグーグルマップの図であるが、見てわかるように、実際の法多山の境内は、東西に長く、南北はさほどではない。しかし、実際の縮尺で図に落とすと16対9という縮尺の図となり、非常に扱い難い。
ではどうしたか?

境内の図を四角いマス(グリッド)で区切り、可能な範囲で左右(東西)の幅を詰め、逆に南北を伸ばすことで、3対2の縮尺で表現されている。
こうしないと、パンフレットなどにとても収まりきるものではない。
そのために東西を可能な限り縮小し、かつ、南北を可能な限り拡大、さらに、建物の位置関係の整合性を取るために非常に細かな調整が必要であった。
それだけではない。この境内図を作るにあたり、通常は見ることが出来ない建物の屋根の形状を描くためにドローンを使用し、動画から詳細な屋根の形状を把握した上で、イラストに起こし図を制作した。


なかでも一番苦心したのは、どの角度から眺めた図にするか?という、構図の問題であった。立体的に描くイラストはナナメの角度から描く方がいい。
また、法多山の特有の地形である東西に延びる谷に沿って進む参道と、南から北へと山を登る石段、そしてその上に建つ本堂。それらを表現するためには【南西の角度から見下ろす図】で描くこととなった。
ここで、境内図を製作した際のポイントを3つ並べてみる。

1. 実際の縮尺ではなく、3対2の縮尺で表現
2. 屋根等の形状を把握するためにドローンを使用
3. 表現するために【南西の角度から見下ろす構図】で描く


境内図が世に出て数年、法多山住職大谷氏が「面白いものがあるんだよ」と筆者に見せてくれた図がある。
それは、明治24年(1891年)に青山豊太郎(精行舎)によって制作された、銅版画による法多山境内の鳥瞰図である。この図版は、翌明治25年(1892年)に精行舎から発行された『日本博覧圖 静岡縣初篇』にも、「笠西村 法多山観世音」として、全く同じものが掲載されている。

筆者は言葉を失った…。 全く同じなのである…。
約130年前に描かれた図と、21世紀に描かれた図が、縮尺と描く角度まで同じである。
東西に延びる谷を南西の角度から45度で見下ろす構図…
グーグルマップで実際の距離を測り、縦横の配置の矛盾が無いように調整した参道の上の中段の通路、 特徴的な本堂への石段の配置、 さらにはデフォルメした3対2という縮尺までもが奇跡のようにシンクロしている。

神、いや仏様に誓っても、筆者は製作時にこの銅版画を見てはいない…(あるなら事前に見せてくれれば制作が早まったのでは?と後に思ったのは事実であるが)
住職としても、まさか100年以上前の境内図が21世紀に新たに制作するイラストの参考になるとは思いもしなかったのであろう。


この二つの境内図を重ねてみよう…。
見事なほどにシンクロしているのが分かる。
そうなのだ… 法多山の境内を分かりやすくイラストとして表現するには、まさにこれしかない…、ここの角度しかない…。

130年の時を超え、同じ「法多山の境内を図にする」という課題に対する答えが合致している。 時を超え、同じ課題に挑んだ者が、同じ解答を出しているのである。
しかし、この銅版画はどうやって描かれたのであろうか?
当然、グーグルマップは無い。

1903年12月17日にアメリカのライト兄弟により初飛行が行われ、日本初の動力付き飛行機による飛行は1910年である。
1877年(明治10年)に初めての係留気球の浮揚実験が行われた記録がある。

法多山の境内図を描くために、気球を飛ばしたのであろうか? 長い境内を簡潔に分かりやすくするために、16対9の縮尺を3対2にデフォルメしたことまで一致したのはなぜか?

1300年続く法多山の歴史は、人の願いや想いの歴史でもある。
この奇妙なシンクロニシティと、どのようにして描かれたのか?100年の時を超え、謎に包まれたまま残された銅版画は、人の想いが明治も今も、変わらず続く…という一つの証拠なのかもしれない。

法多山銅版画境内図 制作背景の考察
著 佐藤里佳子


明治に描かれた銅版画の法多山境内図には、法多山についての説明文、境内の施設名称の他、以下のような文字が記されている。

「静岡縣遠江國磐田郡笠西村法多山厄除観世音境内全圖」
「明治廿四年六月廿日出版 同年同月 日御届」
「画作兼発行印刷人 東京市神田區柳原河岸廿号地竒留 青山豊太郎」
「彫刻人 太田翠嶹」
「法多山尊永寺蔵版」
「・・・明治廿四年卯四月春 法多山尊永寺第廿六世 大谷純教識」
「土方雲外 画」


これによりこの境内図は、現住職の曽祖父、大谷純教氏の代に、明治24年(1891年)に青山豊太郎によって制作されたことがわかる。
この翌年には『日本博覧圖 静岡縣初篇』(明治25年)、さらにその翌年には『日本博覧圖 静岡縣 後篇』(明治26年)が精行舎から刊行されている。

この青山豊太郎による「日本博覧圖」とは、明治時代に制作された、建物や街並みを俯瞰で精密に描いた銅版画集のことである。
博覧図シリーズとして、明治21年~30年(1888〜1897年)にかけて13冊が出版された。描かれたのは関東地方が中心で、栃木県、静岡県、千葉県は県単位で刊行されている。なかでも静岡県は前・後篇に分けられ、369点の銅版画が制作されている。

名所旧跡や寺社、農工商家の邸宅や庭園、学校、工場などが鳥瞰図として描かれ、山や田畑、街並み、人や馬車までも細やかに表されている。
現存する建物と比較すると、家屋が非常に正確に描かれており、図としての信頼性も高いことがわかる。

この博覧図は出版方法も独特で、渡辺善司氏の「『博覧図』の出版をめぐって」(『千葉県立中央博物館研究報告人文科学』第九巻第二号)によると、精行舎はまず発行者と地主や寺社、商人などの注文主が契約を結び、画工(絵師)が現地で写生を行い下絵、縮図を作成した。
注文主は、特定の建物を強調したい、人物や日常の風景も描き入れてほしいといった要望を出すことができ、図版には博覧会の受賞メダル、広告、商標、参詣者、人力車、汽車、郵便配達人、農作業風景など多様なモチーフが盛り込まれている。

完成した絵は彫師が銅板に刻み、印刷する。それらの銅版画を集め、両面刷りで200ページに及ぶ「博覧図集」として書店で販売が行われた。
注文主には、版画集1冊、注文主の建物を描いた図の印刷物5,000枚と版木が納品される。

こうした銅版画は、土地の記録であると同時に、寺社や商工農家の立派さを示す役割も持っていた。さらに、顧客への宣伝に使われたり、美術品として鑑賞されたり、文化的な記録として残されたりもしたのである。

このシリーズには複数の絵師や彫師が関わったが、表現のスタイルは驚くほど統一されている。俯瞰図らしい遠近法を駆使し、家屋や道、畑や川まできっちりと描き込まれている。

当時の鳥瞰図制作は、まず画工が現地に滞在してスケッチを行い、建物の配置や道筋、地形の高低差を記録した。時に村人や施主からの指示・資料提供を受けることもあり、情報の裏付けがとれていたと思われる。
その後、写生をもとに縮図を作り、さらに俯瞰構図に再構成していった。必ずしも空からの景観そのままではなく、見やすさや情報性を優先しつつ遠近法を採り入れ、一部に注文主の希望を反映したため、建物を強調したり誇張したりすることもあった。
この方法によって、ドローンのない時代でも正確さとわかりやすさの両立が可能であったのである。

銅版画は単なる地図絵ではなく、その地域の「視覚的パンフレット」のような役割を果たしていたため、画工・出版者・注文主が協働して「正確かつ魅力的な鳥瞰図」を目指したのである。

現代版の境内図も多少のデフォルメや省略を含むが、その処理の仕方や角度までも青山豊太郎の銅版画と重なっている。
それは依頼主である住職や施主の要望に応える中で「わかりやすさ」「伝わりやすさ」を追求した結果、自然に同じ答えにたどり着いたからなのではないか。

130年前にこの境内図を描いた人物も、現代の制作者と同じように「どの角度で描けば伝わるか」を考え、悩み、工夫を重ねたのだろう。


参考文献:
『日本博覧圖 静岡縣初篇』精行舎 1892年
『静岡県明治銅版画風景集』羽衣出版 1991年

「『博覧図』の出版をめぐって」渡辺善司
(「千葉県立中央博物館研究報告人文科学」第九巻第二号)2006年

「那須野が原博物館収蔵の銅版画―明治期銅版画の制作過程―」金井忠夫
(那須野が原博物館紀要第十四号)2018年

「明治期風景銅版画をめぐって―埼玉を描いた『博覧図』(精行舎)―」芳賀明子 
(埼玉県立文書館『文書館紀要』第26号)2013年

「明治期商家銅版画資料に関する歴史情報学的研究」菅原洋一
(科学研究費補助金萌芽的研究研究成果報告書, 平成22-24年度)2013年


このページは、法多山の千三百年の歴史に伝わる、いわれや伝え聞く謎と伝承を集めた「法多山 伝承奇譚」のページです。

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