法多山の本堂へ続く長い石段の中間地点、登る人々が空を見上げるように一息つく場所の本堂に向かって右側に小さなお堂がある。
そこは謎の地蔵堂。
いつからそこに地蔵堂があるのか?
何があってそこに地蔵堂が建てられたのか?
どんないわくがあるのか?
土地の古老に聞いても、住職にきいてもそれは分からない。
ただ在る。
更に謎なのはその地蔵堂の中のお地蔵さんだ。
通常のお地蔵さんは、お堂の中に配置される時には、通常一体であれば正面に、二体であれば、左右に並べるのが通例である。
そのほうが、参拝者に正対して拝まれることが出来るからだ。
細長い長屋のような建物に、何体もの地蔵が横に並んでいる配置を見たことも多いはずである。有名なものは六地蔵さまだが、これもやはり仲良く横に並んでいる。
しかし、この法多山の地蔵堂は違う。
小さな本堂の中に、
お地蔵さんが二体。
前後に並んでいる。
これでは、正面のお地蔵さんに正対することは出来ても
拝む人からは後ろのお地蔵さんははっきり見えない。
これではせっかくの二体のお地蔵さんを参拝者が拝むことが出来難い。
なぜ、このようなお地蔵さんの配置になったのか?
なにか理由があるのか?
それは誰も分からない。
地蔵が作られた年代も不明。
お堂そのものが作られた年も不明である。
外見ではさして古くは見えないが、仁王門は約四百年、紫雲閣ですら約七十年の年月が経っているのだから、この境内の中では新しく見えるだけなのかもしれない。
旧本堂があった1857年には、この位置には参拝する方が手を清める水屋があった位置である。
明治24年(1891年)に描かれた銅版画境内図にはこの位置は「水屋」と書かれている。
そして水屋のやや下に「地蔵堂」と書かれた小さな祠があるのがわかる。
1300年の歴史の中で、さまざまな宗教的な建築物や像、呪物や祈祷が行われて来た境内には、こうした「誰も知らない不思議な建物と像」が存在する。
本堂や大きな行事などが行われる建築物と違い、小さなお堂と小さな二対の石仏である。
このお堂の裏手にもまた別のお地蔵さんが据えられている。
お堂の中のお地蔵さんと、その裏手にたたずむお地蔵さん。そのいわれは?違いは?
だれも分からない。書物にも書かれてはいない。
だれも知らないものがある、というのは、少し怖い気がする。
しかし、
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、民衆を救うことを釈迦から委ねられたとされるありがたい菩薩のひとりである。
お地蔵さんは子供の守り神としても知られるし、笠地蔵を例に出すまでもなく困っている人々助け、やさしく衆生を救う存在である。
また、地蔵は難病を救うとされ、とげぬき、いぼとり、眼病、子供の夜泣きなどを治したという様々な伝承が世には伝わっている。
日本の民間信仰では、道々にまつられ、道祖神としての一面ももつ、本堂への道のりを見守る位置にあるのには意味があるのかもしれない。
不思議なのは、このお地蔵さん達がいつからどうして、ここに居るのか?
また、なぜ二対のお地蔵さんがお堂の中に前後して置かれているのか?
それらは、全て謎である。
住職も、古老も、誰も知らない。
古跡図書にも記述は…無い。
誰も知らないから、不思議なお地蔵さんの配置もそのままである。
あえて位置を変える理由も無いのだ…。
昔からこう置かれていたから、それが正しい位置であるし、この法多山のお地蔵さんの並ぶ位置はこれが正しいのだろう。
しかし、釈然としない…、全てが謎なのだ。
当然、地蔵堂のお掃除やお手入れは定期的に行われ、鍵のかかった格子の扉は開かれるが、お手入れし、お掃除が終われば、不思議なお地蔵さんは、今まであった位置そのままで再び扉は閉じられる。
今日も、地蔵堂は坂の中腹にあり、石段を登る方がチラホラと休憩混じりに二体の前後したお地蔵さんのいる地蔵堂の前で手を合わせる。
昔からある地蔵堂は、いまも
ただ在る。
いわくや縁起は法多山の千三百年の時に埋もれ、誰も知らないけれど、
優し気なお顔をした二対のお地蔵さんは今日もそこに在るのである。