「氷室神社」は現在法多山の参拝を済ませた帰路として歩くことが多い階段脇、うす暗い森の中の崖の中腹にあいた洞窟です。
氷室明神は、古来「氷」を貯蔵する氷室が神格化された日本では珍しい氷の神様です。洞窟が社殿であると共に、洞窟自体が御神体と伝わります。
氷室神社では、氷室明神がまつられています。
この神社の歴史は古く、古来は病気平癒として信仰されたと『遠江国風土記伝(寛政10年:1798年)』に記されています。
1868年、明治政府により神仏分離が行われ、仏教と神道が強制的に分けられ、それまで混然であり豊饒な文化の中で、多くの民衆の信心を集めていた様々な寺院や仏閣が統廃合されました。
その影響で氷室神社は歴史からしばし姿を失われていましたが、調査により、古文書からこの洞窟が氷室神社と判明し、現在では暑気払いや流行病の予防・平癒の祈願、及びストレスや心の熱を冷ましてくれるとされ、ギャンブル熱や執着心などの心を覚まして下さる「冷却の神様」として崇敬されています。
わが国では、神様の成り立ちは様々なものがあり、人だけでなく、石や木ですら神様と信仰の対象になっていました。
法多山の氷室神社の歴史は古く、江戸時代の地誌「遠江古蹟図絵」(1803年 藤長庚・著)内にある境内図に描かれています。
同じく江戸時代に書かれた、寺や史跡のいわれなどが掲載されている地誌「遠江国風土記伝」(1798年発行:内山真竜1740~1821:天竜出身)の中に「その石を拾って帰ると疱瘡や熱病が治ると言われていた」と記載されています。
当時の疱瘡(天然痘)は恐ろしい病気であり、免疫がない場合の致死率は非常に高く、多くの人々に恐れられていました。高熱を出す疱瘡という怖い病に、当時の人々は氷の神様に祈り、治癒を願ったのでしょう。
法多山では「氷の朔日」(こおりのついたち) (朔日=その月の第一日)である7月1日に、「献氷式」(けんぴょうしき)を行っています。だんご屋さんや門前に店を出す方たちも参加し、その7月1日から法多山では「厄除け氷」の販売を始めます。
氷の朔日は、本来は旧暦の6月1日とされています。古くから宮中では氷室の節会が行われ、氷室から出し献上された氷を臣下に下賜されたと伝わります。
当時の夏季に頂く氷は大変な貴重品であり、一般庶民がなかなか口にできる物ではありませんでした。
氷室神社にまつられる、氷室明神の「明神(みょうじん)」とは、権現と同じく、仏教から見て「神様」のことを指す言葉で、現世に神様が形として姿を現したものとされています。明らかな姿で現れると明神であり、仮の姿で現れると権現と呼ばれます。権という文字は「仮の」という意味であり、仏様が「仮に神さまの形として現れた」ととらえられています。
それに対して、明神は、もともとは定まった姿はないものの、明らかに形として現れしてくれたものとしてまつられ、平安時代より神さまの名前として「明神」が使われるようになりました。
法多山では、古式よりおまつりしている氷室明神をおがむ際のお経として、「神前読経(しんぜんどきょう)」(=神前で仏教の経典を読むこと)とされる「般若心境」や「立義分(りゅうぎぶん)=大乗仏教を分かりやすく読んだもの」といった神さまが喜んでくださるとされるお経を読んでおまつりします。
1200年におよぶ法多山の長い歴史の中で、多くの人々の信仰と恐ろしい疫病や病の予防や平癒祈願、安心と心の冷却を集めてきた洞窟には、多くの物語があり、今もこの洞窟に祈りをささげる人の姿は絶えることがありません。