1300年前、法多山が開かれた奈良時代に多く作られた八角堂は、樹齢数百年を超える法多山境内で育った杉の古材が心柱に使われています。本尊として同じく奈良時代の技法である乾漆造で作られた、天を射抜く姿の愛染明王像がまつられ、堂内の天井に螺鈿で装飾された天空の星を美しく射抜く姿を現しています。
愛染堂は、法多山開創1300年を記念し2024年に建立されたお堂です。
法多山の境内の中でもひときわ目を引く八角形のお堂は、法多山が開設された奈良時代の仏教建築で多く見られる八角堂として建築されました。中には愛染明王が天に向かい弓を引く「天弓愛染明王」がまつられています。
真言密教の教え「煩悩即菩提」とは
「煩悩即菩提」仏教のみならずほぼすべての宗教において「欲望」は断絶すべき対象です。しかしながらその欲望を肯定し、さらには欲望とは本来清らかで悟りの本質に等しいと説くのが法多山尊永寺の信仰である真言密教の教えです。
そしてその「欲望の肯定」という密教の本質を表しているのが愛染明王という仏様です。
愛染明王とは
欲望は時に人を惑わせ、悩みや苦しみを与え、傷つけたりもします。しかし、人は欲望無くして生きていくことはできません。人を愛し、子孫を残し繫栄することも、幸せになりたいと未来を夢見て頑張ることも、全ては欲望の先にあることだからです。その欲望を正しい方に向け、生きる力と幸せを成就させて下さるのが愛染明王様のありがたい仏徳です。
夜空の星を射抜く天弓をひく愛染明王
法多山尊永寺の愛染明王様は、天に弓を引くお姿の「天弓愛染明王」です。6つある腕に持つ弓矢を天空の星空に向けています。
「弓矢」は、様々な宗教の中で欲望の象徴であり、仏教でもそれは同じです。欲望のエネルギーは強く、放たれた矢が猛スピードで進むような勢いがあります。それだけに射た先や当たり所が悪いと大変なことになるでしょう。しかし、その矢の向かう先が明るい方向であれば、「欲望」は「希望」や「情熱」という言葉に変わります。輝くような欲望の先にある美しき天の星を射んとする姿の「天弓愛染明王」様にはそれが顕著に表れています。
人の想い、愛という欲望を、願いの天空の星に放つ天弓愛染明王様は人の欲望を認め、許し、そしてその想いを正しい方向にまっすぐ届けて下さるありがたい仏様です。