はじめに
私は1300年祭を行うにあたり、100年前の1200年祭の記録を調べました。しかしながら、おぼろげながら何を開催したかは記録として催事の事柄は残っておりましたが、その当時の住職や人々が、何を思い何を苦労苦心して開催されたかの歴史や思いは記されておりませんでした。
私が今ここに記す記録が、脈々と続いていくであろう法多山尊永寺の歴史のバトンを後世に繋げ、1400年祭を執り行う未来の住職やそれらに関わるであろう人々の一助になればと祈っています。
2025年7月18日
法多山中興31世住職 大谷純應
1300年の歴史の重みと現代の役割
<質問者>
1300年という長い歴史の中で、この節目の年に住職を務めておられるということについて、どのような責任や重みを感じていらっしゃいますか。
<住職>
法多山ってね、ここが開創して、まあ1300年ということは、今2025年ですから、1300年前です。725年、神亀二年という奈良時代の年号の時にできたわけなんですけども。私は今、住職で、住職ってね、第何世っていう言い方をするんですよ。王様じゃないですけども、私は中興31世です。
中興っていうのはね、慶長、江戸時代の初めのご住職さんから数えて31代目っていう意味です。法多山は奈良時代からあるわけですが、奈良時代からもたくさんの住職さんがいたはずなんですけど、戦国時代の戦などで焼けてしまったから、史料も残ってなくて、前の住職さんたちがどんな方だったかはわかりません。数えればおそらく何百人という方がこのお寺の住職を務めてきたでしょうし、昔はこの法多山の中に12のお寺があったので、それぞれの住職を考えると、本当に膨大な数の方がいたわけです。
江戸時代から数えても30人。うちの先代、先々代、父親や祖父になりますけれども、そういう近くを見ても、やっぱり自分の前にも住職がいたという事実を考えると、31人の人たちが一生懸命このお寺を守ってきたんだなと思うと、もうそれだけで重みがあります。先代、自分の師匠だった父親がここのお寺を本当に死ぬ気で一生懸命頑張って、守っているのを見ているわけですから。でもやっぱり、ご縁。さっき巡り合わせって言いましたけども、仏様のご縁で住職を務める。私の前にいた三十人の住職の重みを背負う。ご本尊様がきっと言われているんだなと思うと、確かに重いですけれど、その重さに負けちゃいけないと思っています。先代のように、次に誰が住職になるかは別にしても、しかるべき人に譲るまでの間は死ぬ気でやらなきゃいけないなと、いつも思っています。まあ、そうは見えないかもしれませんけど(笑)。
<質問者>
1300年という節目にあたって、住職ご自身はこの1300年記念法会をどのような意義のあるものとして位置づけていらっしゃいますか。
<住職>
お寺もね、特にご本山なんかだと、だいたい50年とか100年の節目には、必ず大きな行事をやっているんです。高野山でも、平安時代に弘法大師が開かれて以来、開創1250年とか1200年とか、節目ごとに法会が開かれています。
法多山についても調べてみたんですけど、まだ調べきれていないところもあって、100年前の記録はおそらく明治時代以降のものだと思うんですが、その時代の背景もあって、やらなかったのかもしれません。
それでも、少なくとも百年ごと、あるいは50年ごとに行われる大法会、開かれてからのことを、開創法会と言いますけども、開創法会には意味があると思うんです。会社でも節目ごとに何かを確認するように、長い歴史を振り返り、これからも続けていかなければいけないという気持ちを、改めて再確認するためです。そしてその思いを、次の世代につなげていきたい。だからこそ、百年ごと、あるいは50年ごとの法会は、やらなきゃいけないと思っています。
もう一つ、これはね、実は個人的な話なんですけれども、百年に一度の行事というのは、ほんとうに特別なことなんです。さっきも言いましたけど、うちの先代(父親)はもう亡くなってしまいました。祖父も亡くなっています。曾祖父もいましたが、おそらくその方の時代、私から見て一、二、三代前の、大谷順教(じゅんきょう)さんという方が、開創1200年の法会をやっていたんですね。
ということは、うちの先々代の祖父や先代の父親は、開創1200年にも1300年にも立ち会っていないということです。百年に一度ですから、住職という立場で、3代か4代に一度しか、その場に立ち会えないわけです。
これ、また後で詳しく話さなきゃいけないかもしれませんけど、行事をやるのは本当に大変なんです。やらなければ苦労もないけど、やるとなるとすごく大変。でも、その大変さの向こうには、百年に一度しかない、千載一遇の巡り合わせがあります。その場に自分が立ち会い、なおかつ周りの皆さんの協力をいただきながら、きちんと成し遂げられることの喜びがあります。
それに、自分が幸運というかラッキーだなって思う気持ちもあって、開創1300年という節目に責任者としてここにいられるというありがたみも感じます。だからこそ、この百年に一度の法会を、ちゃんとやらなきゃいけなかったし、やれて本当によかったなと、今でも思っています。
記念事業の中心、愛染堂の建立
さらに、愛染堂の建立もその一環でした。
愛染明王様の像と愛染堂についてなんですけど、ちょっと変わっているんです。普通、お寺のお堂って四角いんですけど、法多山の愛染堂は八角堂なんですね。八角堂と聞いて、皆さんすぐ思い浮かべるのは、修学旅行で行ったことのある法隆寺、奈良の斑鳩の夢殿とか、奈良の春日公園にある興福寺の北円堂なんかです。どちらも奈良時代に作られた国宝のお堂で、奈良時代にはこういう形のお堂が流行していました。
そもそも仏様をお祀りする建物というのは、お釈迦様のお舎利を納める塔「ストゥーパ(卒塔婆)」が元になっています。インドでは塔は丸い形でした。皆さん、タージ・マハルとか思い浮かべてみてください。丸いですよね。それが中国や東洋に来ると、木造で丸く作るのは難しいので、八角形や16角形のお堂が作られるようになりました。日本でも、なるべく丸に近い形で仏様をお祀りしようとして、八角堂が作られるようになったんです。八角円堂とよばれています。
法多山は開創が1300年前、725年ですから、奈良時代の真っ只中にできたお寺です。そのため、お堂も奈良時代の技法で作ろうということで、飛鳥工務店さんという大工さんや業者の皆さんと話し合いながら建てられました。四角いお堂より八角形の方が建てるのは大変ですけど、奈良時代の形を再現するために八角堂を作ったんです。僕は大工さんじゃないからそこまで細かいことわかりませんが、すごく大変だったみたいです。
そして、愛染明王様、天弓愛染明王様のご尊像なんですけど、パッと見た感じではわからないんですが、木像ではありません。乾漆像(かんしつぞう)と言って、乾いた漆で作られた像なんですね。
皆さん、張り子の虎とか、張り子の人形って見たことありますよね。あれに似た感じで、まず型を作ります。型を取ったら、そこに紙や布を貼って形を作るんですけど、乾漆像も似た方法です。最初に粘土で削って愛染明王様の像の原型を作り、それを「雌型」と呼ばれる型にはめます。その中に漆と布を何層も貼り合わせて像を作り、最後にもう一度形を整えて完成させるんです。
この技法は奈良時代に伝わったもので、有名なのは興福寺の阿修羅像や唐招提寺のご本尊などです。木像ではない漆と布で作られているので、木造では出せない柔らかさやしなやかさがあります。ただ、作るのは非常に手間がかかるため、途中から木造に変わっていったんですね。
それでも、開創1300年の記念として、やはり奈良時代の技法で仏様の像を作りたい。ということで、現在日本では乾漆像を作れる方はほとんどいませんが、先生を探してお願いし、愛染明王様を乾漆像で作りました。つまり、お堂は奈良時代に流行した「八角堂」、そして像も奈良時代の技法「乾漆像」で作られているということです。
記念事業に込められた歴史への敬意と地域との連携
<質問者>
1300年記念祭の儀式について伺います。高野山のご本山から管長猊下(かんちょうげいか)、遠州三山のご住職をお招きして、記念法会をされたと思います。準備から開催までの苦労や、実際に取り行った時のご感想をお聞かせください
<住職>
今回、開創1300年大法会ということで、こうした記念の大きな事業を行いました。法多山の開創1300年記念大法会です。その記念事業の一つとして、愛染堂も建てました。
やはり1300年をお祝いするということで、儀式も必要です。お誕生会で言えば、誕生日プレゼントやお祝いの会を開くのと同じように、開創をお祝いする儀式、これが開創大法会です。
今回の記念大法会は、2025年、令和七年の4月27日から5月6日までの期間に行われました。その間、さまざまな行事を行いましたが、一番大きな行事の一つは5月3日の中日大法会です。期間の中間にあたる日に、一番盛大に法会を行うのです。
この日には、高野山のご本山から管長猊下や、宗務総長様、またご本寺のご住職様、さらに近隣のお寺の方々にもお越しいただき、盛大にお祝いの儀式を行いました。管長様はご本山での法会などの行事も多く、さらに地方でもお導師を務められるなど、非常にご多忙です。ご高齢で徳も高い方ですので、お迎えする準備も簡単ではありません。前の年からご本山と打ち合わせを重ね、日程を決めて準備しました。
それでも管長様はお越しくださり、お導師として勤めていただき、「ここに来て大導師としてお勤めさせていただき、本当に嬉しかったです」とおっしゃってくださいました。
大法会の時はもちろんお祝いです。この地域、静岡県西部の方々にとって、お祝いと言えばやはりお餅まきが楽しみです。最近は建前で行うことも少なくなりましたが、今回はたくさんのお餅をまきました。十俵ぐらい、1万5千個ほどのお餅をまき、多くの方に拾っていただきました。
仏様の前で拝むときは厳かに1300年をお祝いし、外に出てお餅まきをする時は、華やかに皆さんとお祝いできました。
大法会の準備は大変です。まず、お寺の皆さんのスケジュール調整から始まり、準備するものも多く、段取りをこなすのも一苦労です。それでも、皆さんに一緒にお祝いしていただきたいという思いで、無事に実現できました。自分としても、まずは、ちゃんとやれたなという気持ちの大法会でした。
それとは別に、今回の記念大法会で、ちょっと変わっていて面白いところだなと思ったことがあります。袋井には、法多山を含め「遠州三山」と呼ばれる古い大きなお寺があります。可睡斎と油山寺です。実は、この三つのお寺、全部宗派が違うんです。可睡斎は曹洞宗、油山寺は同じ真言宗ですが智山派で、法多山は高野山真言宗です。宗派が違うと、通常、一緒に法会などの儀式を行うことはほとんどありません。でも今回、それぞれ1日ずつ、5月4日には、油山寺のご住職(鈴木快法様)に記念事業で建てた愛染堂での所願成就のご祈祷をしていただきました。また、5月5日には、可睡斎の斎主様(采川道昭 老師様)にお越しいただき、本堂でお導師を務めていただきました。
油山寺のご住職は私より年は少し若いですが、とても熱心な行者様で、特に愛染明王様を毎日拝まれているとお聞きし、お導師をお勤めいただけるようお願いしたところ、二つ返事で快く引き受けてくださいました。また、私もそこまでできなかったんですけども、法会のひと月前から精進潔斎を行い、前の週には五穀断ちまでして臨んでくださいました。五穀断ちっていうのは、お米とか小麦とか、そういう穀物を一切食べずに精進する修行のことです。その五穀断ちまでされて、いろいろアドバイスをいただきながら、私たちも知らなかったことを教えていただきつつ、お導師として法会に臨んでいただいたんですね。
当日、信者の方々も愛染堂の中まで入ってお参りされ、お一人お一人にご祈祷でお加持をしていただきました。本当にありがたく、熱心に拝まれるご住職の姿を見て、導師を務めていただいたおかげで、ご利益も倍増だったのではないかと思います。
5日は、今度は可睡斎さん、禅宗曹洞宗の大きなお寺です。多分、日本でも福井の永平寺さんや鶴見の總持寺さんに次ぐ規模の大きなお寺です。中では雲水さんと呼ばれる修行僧の方々がたくさん修行されています。その可睡斎の一番偉いご住職、斎主様といいますが、斎主様と、お役をされている方々、雲水の皆さん十数名ほどにお越しいただきました。
可睡斎は火伏せの神様として三尺坊様、烏天狗のようなお姿の仏様をお祀りしています。秋葉総本殿とも呼ばれ、火伏せや災難除けのご利益で知られるお寺です。
法多山では秘仏として迦楼羅天(カルラテン)を伝えています。迦楼羅天はインドのガルーダに由来する、鳥の姿をした仏様です。今回、開創1300年の記念で、この秘仏をお開帳することになりました。迦楼羅天と三尺坊様はお姿が似ているため、可睡斎の斎主様にも「ぜひ拝みに来てください」とお願いしたところ、「それでは、可睡斎の雲水を連れて行きます」と快く承諾してくださり、十数名でお越しいただき、本堂で盛大にご祈願していただきました。
こんなことって、実は滅多にあることではないんですよね。全く違う真言宗のお寺に曹洞宗のお寺のご住職様が来て、お導師をしていただくなんて、本来ありえないことです。でも、油山寺のご住職様も可睡斎の斎主様も、快く引き受けてくださいました。
もちろん、これまで何のつながりもなかったわけではありません。遠州三山は宗派が違いますが、夏には遠州三山風鈴祭り、秋には遠州三山紅葉巡りなど、袋井の街のシンボルとして三つのお寺が協力し合い、いろいろな事業を一緒に取り組んできました。その中で築かれた絆が、今回の法会でも活かされたのです。
袋井といえば、遠州三山。古いお寺が三つあることが観光のシンボルです。ですから、今回は法多山の1300年という節目のお祝いに、可睡斎さんや油山寺さんにもお祝いしていただきたいとお声がけし、4日と5日にそれぞれ、愛染明王様と迦楼羅天様を御本尊として法会を執り行っていただきました。
自分で考えたことではありますが、手前味噌になってしまいますけれども、袋井らしい、遠州三山ならではの良い法会ができたなと、すごく自分としては良かったなと思っています。
愛染堂建立に込められた想い
<質問者>
企画と実行の裏側を教えてください。
愛染堂の建立という大きな事業もありましたが、この建立に込められた想いや願いについて教えてくれますか。
また、これから先の参拝者の方々にとって、どんな存在になってほしいか、お聞かせください。
<住職>
やっぱり開創法会っていうのは、記念の行事ですから、百年に一度くらいの大きな節目になります。どこのお寺さんも、ご本山もそうですが、こういう記念事業って、何かしら行うんですよね。もちろん法会としてのお祝いの儀式もありますけれども、それ以外に、百年に一度をきちんと記念できる事業もやらなければいけません。
法多山の場合は、愛染堂というお堂を建てました。2025年の完成ですが、計画自体は三~四年前から進めていたんです。さて、そもそも愛染堂って何かというと、愛染明王という仏様をお祀りしているんですね。知っている方は知っているかもしれませんし、知らない方は知らないかもしれません。でも実は、真言宗にとってすごく大切な仏様なんです。弘法大師、真言宗の開祖ですね、この弘法大師が日本に愛染明王を広められたということもあり、信仰の深い仏様なんです。ご本山の伽藍の中には愛染堂というお堂もありますし、塔頭寺院でご本尊として祀られているところもあります。
愛染明王様が大切な理由は、仏様の徳やご利益、存在の意義がまさに真言宗の教えそのものといっても過言ではないからです。
字で書くと「愛に染まる」と書きますね。すごいですよね、愛に染まる「愛染」というわけです。愛染明王と書く通りで、これはインドの言葉では「ラーガラージャ」といいます。「ラーガラージャ」、意味は「愛欲の王」です。ラーガは愛欲、ラージャは王様という意味ですね。マハラージャのラージャです。
仏教では、欲望というのは煩悩のひとつで、愛情もその中に含まれます。だから、欲望や煩悩はできるだけなくす方がいい、とも言われます。確かに、欲望があるから人は苦しむわけです。でも、煩悩や欲望が全くなくなったらそれでいいかっていうと、実はそうではありません。私たちが健康に生きるためには、例えば食欲。食欲がなくなるということは、体の調子が悪いということですよね。食べる欲があるからこそ、体も生きる力を持つ。お金や仕事に関する欲も同じです。仕事をして報酬を得たい、成果を認めてもらいたい、人の役に立ちたい、こういう欲望があるからこそ、人は社会のために一生懸命働こうと思うわけです。もし欲望がなければ、家でゴロゴロしてしまうかもしれません。
性欲もそうです。もし人間から性欲がなくなったら、誰かを愛することも子どもを欲しがることもなくなってしまい、人類は滅びてしまいます。人間だけでなく、犬や猫もそうですし、虫や鳥も同じです。生き物はみんな、自分の子孫を残すために生きています。だから、欲望そのものは決して悪いものではありません。欲望は、人をもっと先に進めようとするエネルギーなのです。
ただ、そのエネルギーが曲がってしまうと問題です。食欲だけが強ければ体を壊すかもしれませんし、お金だけを追い求めれば不正を働くかもしれません。性欲も同じです。自分の思いのままにすると、トラブルを生むこともあります。
密教では、こうした欲望を正しい方向に導いてくれる仏様が愛染明王なのです。欲望を否定するのではなく、肯定しつつ、正しく活かすための仏様というわけですね。
もちろん、愛染明王様は真言密教にとって非常に大切な仏様です。でも、それと同時に、私が今の世の中で特に大切だと思うのは、人々が「正しく生きたい」「頑張りたい」と思う、正しい欲望を持つことです。
面白いのは、東洋でも西洋でも、愛欲の象徴って弓と矢なんですね。西洋で言えばキューピッド、エロスのように、弓矢を持った姿の神様です。実は東洋の仏教でも、欲望の象徴は弓と矢なんです。だから愛染明王も、弓と矢を持っています。法多山の愛染明王様は、天に向かって矢をつがえているんです。天の弓、「天弓愛染明王」と言って、矢を引き絞っているんですね。
その矢は欲望の象徴であり、同時にエネルギーです。勢いよく飛んでいきますが、もし悪い方向に向けば、誰かを傷つけたり、物を壊したりしてしまいます。しかし、正しい方向に向かえば、世の中を良くする力になるんです。
ですから私は、皆さんにこの愛染明王様を拝んでいただき、自分も努力し、周りも良くなるような正しい欲望を持ってほしいと思っています。まさに今の時代に合った仏様だと感じ、法多山でお祀りしているのです。
うちの愛染明王様ですが、さっき「天弓愛染明王」と言いましたけど、これも意外にレアで珍しいんです。多分、他ではあまり見られない特徴があるんですけど、通常、仏様というのは前から拝むものですが、法多山の愛染明王は八角堂の真ん中にお祀りしているので、後ろに回ってお参りすることもできます。普通は仏様の後ろは見せないので、言い方は悪いんですけども、気合を入れて後ろ側ってそんなに作らないんですよ。でも今回は、360度どこからも見ても拝んでいただけるようにしています。
仏様には光背(こうはい)があります。阿弥陀如来なら丸い光背、不動明王や愛染明王なら炎を象徴する光背です。背中の後ろに光があることを象徴しているんですね。光の背中と書きますけれども、法多山の愛染明王の場合、正しい欲望をご利益の象徴として太陽が光背に描かれています。炎と太陽の日輪を表す光背、熾盛光輪(しじょうこうりん)を背負っているんです。
普通は表からしか見ないので、後ろ側も単に棒で支えてあるだけになってしまいますが、今回は、後ろもデザインにこだわりました。仏師さんや彫刻師さんと相談して、太陽と火を支えるので、いわゆる火の鳥の形にしてあります。中国や日本では鳳凰、西洋では不死鳥フェニックスですね。
火の鳥は再生の象徴です。私たちは努力しても、必ずしも成果が出るとは限りません。仕事で頑張ったのに結果が出ない、勉強しても試験に合格しない、恋が実らない……そんな時、愛染明王様の後ろ側に回ってお参りすると、再生の象徴である火の鳥に拝むことができます。これによって、「もう一度頑張ろう」というチャレンジ精神を後押ししてくれるご利益がいただけるように、という願いが込められています。
後ろ側も、ただ支えているだけでなく、参拝者が感謝と気持ちを込めて拝めるように、しっかりと彫刻やデザインを施してあるのです。
学びと集いの場としてのお寺
<質問者>
お寺は昔から学ぶ場でもあり、マーケットやコミュニティの拠点でもあったと伺いました。現代におけるお寺の役割についてはいかがですか。
<住職>
お寺の話、今の皆さんにとってお寺って、もしかしたらあまり縁のない場所だったり、できれば頻繁には訪れない場所、そういう印象を持っている方もいるかもしれません。お葬式や法事、お墓参りのときに行く場所、そんなイメージですよね。
でも、昔、例えば100年ほど前、戦前くらいのお寺っていうのは、町や地域、コミュニティの拠りどころであり、みんなが集まる中心的な場所だったんです。特に地方のお寺はそうでした。ただお葬式やお墓参りのための場所ではなく、生きる人々のための拠点でもあったんですね。
例えば昔の学校。今は小学校や中学校がありますけれど、昔は学校がなかった時代です。読み書きや算数を学ぶ場所として、お寺の寺子屋がありました。村の子どもたちはそこで学んだんですね。それだけではなく、お坊さんのお話を聞きに来たり、習い事をしたりもできました。お寺には広い空間がありますから、学ぶ場としてもとても適していたんです。
それ以外にも、人が集まる場としての機能がありました。今で言う商店街のように、お寺の門前に物を持ち寄って売買したり、地域の寄り合いをしたり。昔は公民館やコミュニティセンターもありませんから、町や村のこれからのことを話し合う場所として、お堂が使われていたんですね。そうやって人が集まり、さまざまなものが生まれてきた。そういう機能も、お寺にはあったんです。
で、これはね、皆さん、言われてみて初めて気づくかもしれませんけれども、もう一つ、地方のお寺っていうのは、実はアミューズメントのような楽しみを創出する場所でもあったんですよね。簡単に言うと、法多山もそうですけれども、お参りに来るだけでも楽しいんです。道すがらにお店があったりして、ここだったら江戸時代から続くお団子屋さんでお団子を食べて帰る、それだけでも十分に楽しめるわけです。
さらに、上方や江戸から芝居小屋の一座が来たとき、地方の村でどこに小屋をかけるかと言ったら、村の外れかお寺やお宮の境内でした。昔は広い場所がありましたから、そこで小屋掛けしたり、奉納相撲の土俵があったりして、子どもたちも安心して遊べる場所になっていたんです。お寺の庭やお堂の中が、地域の人々にとって、日々の楽しみを味わえる場所だったわけです。
日々の生活の中で、お寺はこの地域にあって、いろんな形で人と関わってきたんです。もう本当に、一年に1回とか2回とかじゃなくて、月に1回とか2回とかじゃなくて、毎日とは言わないかもしれませんけれども、何かあれば誰かが訪れる場所だったんですね。僕もそう思いますし、実際に調べてみても、昔はそういう機能が確かにあったんです。
ですから、やっぱりこの法多山も、生きている人たちのための場所でありたいと思っています。例えばここでは、テラスタでヨガをやったり、いろいろ学べる講座を開いたり、季節ごとのイベントも行ったりしています。皆さんが「楽しかった」「面白かった」と思って帰ってくれて、また明日も頑張ろうと思ってもらえる。ちょっと変わった取り組みかもしれませんが、お化け屋敷なんかもその一つです。都会にはいろんな楽しみがありますけれど、地方だからといって何もないわけではありません。ここにはここなりの楽しみがあり、「静岡の袋井って何もないように見えたけど、実は面白いところいっぱいあるな」と感じてもらえたらうれしいですね。
古い時代からお寺は、地域の人が日々の生活の中で活用してきた場所ですから、これからもそうした形で活用してもらえれば、とてもありがたいなと思っています。
1300年の歩みを未来へつなぐ、生きる人のための法多山
<質問者>
百年に一度の1300年法会で、これからの百年、200年という時間の中で、今後の法多山はどのようにして残り続けてほしいですか。また、未来の若者たちや、訪れたことのない方たちに向けて。一言メッセージをお願いできますでしょうか。
<住職>
開創1200年とかね、ちょっとどういう状態だったかっていうのはわかりませんけれども、今から100年前、1925年がどういう状態だったかっていうのは、日本の歴史を見ればわかるかもしれません。でも、少なくともその1925年から2025年までの間も、決して順風満帆だったわけじゃないんですよね。戦争があって、大勢の人が亡くなって、その後もいろんな困難があって……大きな地震があったり、世の中が変わっちゃうような病気が流行ったり。
そういうことを乗り越えて、こうして今、開創1300年を迎えられたっていうのは、もちろん仏様のご加護とか、天のお導きとか、あったかもしれませんけれども、やっぱりね、百年間のことを考えると、自分たちのひいおじいさん、ひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、そして私たち自身がちゃんと頑張ってきた証なんだなって。ひとりひとりの頑張りの積み重ねがあってこそ、こうして迎えられたんだなって、やっぱり思いますね。
次の開創1400年のときには、もう私たちは生きていませんよね。ここで今、取材をしてくださっている皆さんもそうですし、お話を聞いてくださっている皆さんも、そして私自身も、当然その時にはこの世にいないでしょう。
でも、私たちが生きている限りは、次の1400年、今度は2125年ですか。この世の中がちゃんと続いていけるようにしなくちゃいけないと思っています。世の中がなくなっていいなんて思っている人は、誰ひとりいないでしょうし、みんな「続いてほしい」と願っているはずです。
その思いを実現するためには、やっぱり私たち一人ひとりが、仏教の言葉でいえば「精進」ですね、日々精進して、しっかり頑張って生きていくことが大事です。そして、その積み重ねがあって初めて、次の開創1400年を迎えられるんじゃないかと思うんです。
もちろん「このお寺のことなんて自分には関係ない」と思う人もいるかもしれません。でも百年後の未来が、今と同じように、あるいは今よりもっと幸せで楽しいものになっていてほしいと願う気持ちは、きっと誰もが持っているはずです。私たち自身はそこまで生きてはいないかもしれませんけれども、自分の命が続く限り、次の世の中が少しでも良くなるようにと願って、日々を頑張って生きてもらいたいなと、私はそう思っています。
法多山というお寺はね、少しほかのお寺とは違うところがあるんです。お寺とかお坊さんというと、どうしても「お葬式のとき」「法事のとき」にしか会わない、行かない場所というイメージがあるかもしれません。でもここはね、そうじゃないんです。皆さんがいろんな形で訪れてくださる場所なんですよ。たとえば初詣のときだったり、季節ごとの行事のときだったり、一年を通して、いろんなタイミングで足を運んでくださる。
で、さっきもちょっとコロナの話をしましたけれども、そのときもやっぱり、このお寺では、できるだけいろんな行事を止めないようにしてきました。もちろん感染症対策として、病気が広がらないように中止したこともありますけれども、でも、皆さんが少しでも、これから先、ちゃんと頑張って病気を乗り越えられるようにという思いで、お参りに来ていただいたり、自然の中で過ごしていただいたりしていました。ここは三密にならないですからね、自然の中で、自分が生きていることを実感できる場でもあったわけです。
生きているってことは本当に大切なことです。もちろん、病気にならないようにするのも大事ですが、私たちは病気にならないためだけに生きているわけではありません。生きる一番大きな目的は、自分が「幸せだな」と感じたり、「楽しいな」と思ったり、自分の周りの人たちも同じように幸せで、楽しいなと思えることを実感することです。
だから、このお寺は、そうした「生きている喜び」や「楽しみ」、あるいは「大切な人と共に過ごす幸せ」を感じられる場所であってほしいと思っています。そのために、いろいろな取り組みを行っているんですね。
なんか、ここのお寺、イベントばっかりやってて「お寺らしくないな」って思う方もいるかもしれませんけど、決して人寄せのためにやっているわけじゃないんです。やっぱり、仏様の教えで一番大切なのは、人が自分の幸せを実感することです。幸せだと感じられるからこそ、人に親切にできるし、世の中を良くしようと思えるわけです。その「幸せを実感してもらう」ということを、私は仏様の教えに従ってやっているつもりです。
だから、ここに来たことがない方も、ぜひ一日過ごしてみてほしいんですね。ああ、ちょっと面白かったな、よかったなって思ってもらえる場所でありたい。そしてもっと言うと、「そばにいて笑ってくれる人がいて嬉しかったな」とか、「今度はこの人と一緒に来たいな」とか、「今度はお父さんやお母さんも連れてきてあげたいな」と思ってもらえる場所でありたいと思っています。
できるだけ多くの人に、皆さんがここに一緒に来ていただいて、自分は幸せだな、生きていてよかったなって思ってもらえること。さっきも少し言いましたけどね。
もちろん、自分が何十年生きられるかなんてわからないんですけど、次の世の中も幸せであってほしいと思うからこそ、頑張ろうって思えるわけです。自分が幸せだと思うことで、その幸せが未来にもつながっていく。そう思うと、やっぱり頑張ろうって気持ちになるんですよね。
ですから、少しでも自分の気持ちが上向きになったり、前向きな気持ちを応援できる場所でありたい。そんな思いで、これからも法多山は、生きている皆さんのためのお寺であり続けたいなと思っています。